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7月9日は鴎外忌

7/9は森鴎外の忌日です。

そこで本日は森鴎外について少し調べてみました。

森鷗外(もり おうがい)は、明治時代から大正時代にかけて活躍した日本の文学者・軍医・翻訳家・評論家です

本名は森 林太郎(もり りんたろう)、生没年:1862年(文久2年)~1922年(大正11年)です。現在の島根県津和野町で生まれました。作家として有名ですが、その他にも軍医(陸軍軍医総監まで昇進)、翻訳者等の顔がありました。

森鷗外の功績は、文学だけでなく、医学、翻訳、文化政策の分野にまで及びます。彼の功績をジャンル別に整理すると、以下の通りです。

 文学の功績

1. 近代文学の確立

明治初期の日本文学はまだ西洋の模倣段階にありましたが、森鷗外はそこに西洋文学の深い理解と、日本の伝統美を融合し、日本近代文学の礎を築きました。『舞姫』『うたかたの記』『即興詩人』などにより、「近代的自我」の葛藤を文学で初めて深く描いたと評価されています。

2. 歴史文学・史伝文学の開拓

晩年には『阿部一族』『山椒大夫』『興津弥五右衛門の遺書』などの歴史に基づいた作品を書き、史実と文学の融合を図りました。

翻訳・紹介活動の功績: 西洋文学・思想の紹介

ドイツ語に堪能で、ゲーテやアンデルセン、グリム兄弟、イプセンなどの文学を日本に紹介しました。特にアンデルセンの『即興詩人』は、非常に技巧的な翻訳であり、文学的価値も高いそうです。

医学と軍務の功績:日本医学の近代化に貢献

ドイツに留学し、当時最先端だった西洋医学を日本に導入し、また陸軍軍医総監として、軍医制度や衛生環境の整備にも尽力しました。医学論文も数多く執筆。医と文の両道を極めた人物といわれています。

文化行政・知識人としての功績:文部省や宮内省での文化政策

明治天皇の侍医を務めた後、宮内省で文化事業にも関わり、歴史資料の整理や古典の編纂、日本の文化財保護にも貢献しました。学問・芸術・政治の中間に立つ「知識人のモデル」的存在でした。

総合的な評価

森鷗外の功績は単なる「文学者」の枠を超えており、「近代日本を精神的・文化的に支えた知の巨人」といえる存在です。夏目漱石と並ぶ明治文学の双璧として、現在でも研究が盛んです。

心理的・内面的・日本人としての自我探求に重きを置く夏目漱石に対して、森鴎外は理知的・客観的・西洋に対する敬意が強く、歴史や思想重視といった特徴があります。

 

いかがだったでしょうか?森鴎外の名前は知っていても、調べてみたら結構知らないことが多く、ちょっと「目からうろこ」でした。

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